フィンランドが好きな建築学生のブログ

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世界一周旅行 アムステルダム編

アムステルダムにきました。

 

名前

由来は、アムステル川のダムができたから。

ちなみに、ロッテルダムなどもダムが

同じ地名の都市もあります。

 

都市
旧市街地は、13世紀

16世紀に人口増加のため拡大しました。

そして、

現在拡大を繰り返して今の形に至ります。

 

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建物

間口が3-5mくらいで

破風に滑車がついています。

これは、引っ越しをするときに

家具を運ぶために窓から

搬入するためです。


採光率の法規が厳しく、

全面ガラス張りになることが多いそう。

 

なお、

開口は下階の採光が取れにくいから

窓が上よりも大きく計画されている。

 

また、地盤改良のための

杭が一つの建築に2m間隔でうたれた。

1本400kgだそう。

 

なお、杭の素材には

松が使われていて酸素に

触れないようにうめられている。

 

川沿いには木が等間隔で置かれており、

約15mくらいの間隔。

 

また、運河上の家は

ファサードの広さに比例して税金が

かかっていたそう。

 

なので、それをできるだけ

安くするよう間口を狭く設計したそう。

 

 

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そして、建物は川に向かって

少し前に傾いているんです。

 

これは、荷物を滑車を

使い入れる時に

入れやすくするためだそう。


ここでふと、

疑問が湧きました。

 

疑問①

なぜ日本の都市は、

このように美しい街並みを

残せなかったのか

 

→東京や横浜は火災と地震

あったからなのは木造が

ほとんどであったためだと

思い出しました。

 

②河川工事を建築家が行ったら、

違った計画になるのでは?

なぜあまり主流で土木工事を

やっていないのか?

また、水害対策の工事を

建築家が担当することはないのか?

 

アムステルダムの地区は、

建築家が主流で都市計画や建築を

構想しました。

 

③なぜ16世紀に都市が拡大したの?

それは、16世紀カトリック以外は弾圧されたため

 

信教の自由が認められたアムステルダムは、

亡命者を救う街だったそう。

 

 

ウィーン分離派の展示

次に、アムステルダムのアート複合施設

「Fabrique des Lumières」でウィーン分離派の展示会がありました。

 

ウィーン分離派 とは、1897年4月3日にウィーンで画家グスタフ・クリムトを中心に結成された新進芸術家のグループをいいます。

正式名称は、オーストリア造形芸術家協会。

 

なお、

「分離派」とは、19世紀の歴史絵画や伝統芸術からの分離をめざしたドイツ語圏の芸術家

の動きです。

 

彼の絵画は、彼の建築と同様に、

自然と人間への完全な敬意が表れています。

彼の作品はどれも原色に近いような色を使っています。

 

また、画法としては遠近法を放棄して一連 の 平面と捉えています。

彼は直線よりも生き生きした線を好 み、

不規則な形をしています。

 

彼にとっては、自然がモデルです。

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大阪に彼の作品がありますが

こちらも同じように派手な建築です。

 

ファサードには、赤いラインがあり

これは火を表しているそう。

 

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次にクリムトです。

クリムトは金と装飾を好んで使い、

芸術の再生を試みました。

 

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どの時代も新しいものや

再生をしようとする人たちの

存在が確かに存在することがわかりました。

 

建築様式も多様ですが

まだ分類されていないものの方が

多いと思います。

 

→デザインするときに現在の

確立された建築様式の引用も

セオリーとしてありますが

 

新しいものを生み出すなら

そもそもまだ見つかってないところから

探すのがいいのではないかと思いました。

 

例えば、また名前としては

確立されてないもの

トマソン建築のようなもの

→映画やアートに出てくる未来都市など

→メードイントーキョーなど

 

とにかくたくさん想像が膨らんだ旅行でした。